東郷平八郎、実はおしゃべりだった!?エピソード・名言を紹介!

  • 2020年8月1日
  • 2020年8月9日
  • 歴史
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東郷平八郎は明治~大正時代に活躍をした日本海軍の軍人です。日露海戦でバルチック艦隊を撃破した時の総司令官でというイメージが強いと思います。今記事では東郷平八郎についての略歴とイメージに合わないエピソード、名言についてご紹介します。

 略歴

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(参照:ハナミズキ

1848年に薩摩藩(現鹿児島)の下級武士の子として生まれます。若い時から薩英戦争・戊辰戦争に参加をしています。西郷隆盛や大久保利通らと同郷で、特に西郷隆盛を尊敬していました。明治以降は海軍軍人となり、ヨーロッパ留学を経験。日清戦争では艦長、日露戦争では海軍の総司令官として活躍をします。

国際法に詳しく、日清戦争時には降伏した敵艦が、完全に動きを停止しないことに対して国際法に則り撃沈。この行動は国際問題に発展しますが、国際法に則た行動であるとイギリスを始めとした列強が認めたことで世界中から称えられました。日露戦争時には当時世界最強とも言われたロシアのバルチック艦隊を殲滅。当時としては戦艦同士の戦いにおいて、敵戦力をほぼ全滅させるという、世界史上類を見ない戦果を挙げました。日露戦争後は元帥まで出世し、日本に限らず、アメリカやイギリスの海軍軍人からも尊敬を集めました。

 実はおしゃべり!?

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31歳時の写真(参照:無無明録

東郷には重厚で寡黙なイメージありますが、実際若い時はおしゃべりだったようです。また容姿も良かった為、かなりモテました。実際に写真を見てみるとすごくイケメンです。

そんなイケてる若き日の東郷は、イギリスに留学に行きたいとの希望を持っており、政府の官費留学のお願いに行きます。しかし、政府から官費留学の許可は出されませんでした。その理由はなんと、「おしゃべり」だから。しかもそのダメ出しをしたのが同郷の大久保利通です。結局西郷隆盛に泣きついて、イギリス留学は叶いますがこの反省から意識的におしゃべりを禁じたようです。

重厚な雰囲気と、冷静沈着さは後天的に身に付けたものだったのです。

 理不尽との闘い

悔しい人のイラスト(男性)

念願叶って留学に行ったイギリスでは、人種差別との闘いが待っていました。通いたかった海軍兵学校からは入学を断られ、海軍予備校で学ぶことになります。その後、商船学校でも学びましたが、この学校では東郷の名前をもじり、「トゥー,ゴー,チャイナ](中国に帰れ)と馬鹿にされました。この学校に通う生徒の多くは東郷よりも年下の少年たちで、この時の屈辱は相当なものであったでしょう。

このような環境の中、7年間(25歳~32歳)必死に勉学に励んだ経験が、東郷を「沈黙の提督」に近づけることになりました。そしてこの間に学んだ国際法は、帰国後大いに役立つこととになります。後に東郷はこのような言葉を残しています。

遇直と笑わるるとも、終局の勝利は必ず誠実な者に帰すべし。

引用:心の常備薬

 日本人というだけで理不尽な差別に苦しんだ青年は、日露戦争後に海外のメディアから「東洋のネルソン」と称されTIME誌の表紙を飾ります。(ネルソンはナポレオンの戦艦と2度に渡って大勝利を収めて祖国を守ったイギリスの英雄。)イギリスで差別と孤独の中、努力を続けた東郷がイギリスの英雄に例えられるとはなんとも気持の良いエピソードですね。

 リストラ寸前だった!?

解雇・リストラのイラスト

1892年清との決戦を控えていた海軍は、藩閥を崩して新しく生まれ変わるための改革を行いました。具体的には明治維新の功績よって海軍内で出世をした薩摩藩出身者の多くをリストラをしたのです。この大リストラによって海軍は陸軍よりも先に藩閥意識を消し、近代海軍を作り上げていくことになります。

当初そのリストラ候補に当初東郷も挙がっていました。理由は病気の為、仕事を休みがちだったから。しかし、国際法に精通しているということでリストラを免れました。イギリスで屈辱にまみれながら必死に身に付けた「学」が東郷を救うことになります

余談ですが、この改革を行ったのは薩摩藩出身の山本権兵衛という人です。後に海軍大将にまで出世し、総理大臣も2度務めました。しかし改革を行った当時の階級は大佐でした。同郷の自分よりも階級の高い人を含め、約100人のリストラを断行した為、大きなハレーションを生みました。当時海軍大臣であった西郷従道(西郷隆盛の甥)のサポートも受けながら、改革をやり遂げ海軍にイノベーションを起こしました。この改革(リストラ)について権兵衛はこのような言葉を残しています。

功労者は、勲章をやればいいのです。実務につけると、百害を生じます。

引用:【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール

この言葉は現代にも通じる名言だと思います。ともかくもリストラ候補に挙がるほど、目立たない存在であった東郷はこの後の清・ロシアとの戦争で誰もが知る大活躍をしていくことになるのです。

 まとめ

如何だったでしょうか。今回は東郷平八郎らしからぬエピソードをご紹介させて頂きました。薩摩出身のエリート軍人というイメージを抱いていた方も多いと思いますが、意外にも苦労の多い人生だったことが分かったと思います。特に差別と闘いながらも「沈黙の提督」と呼ばれるまで、理想の自分を創り上げた姿勢を見習いたいですね。

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