国士無双 中華一の大元帥韓信の凄さとは

  • 2020年8月3日
  • 2020年8月9日
  • 歴史
  • 538view

韓信とは秦時代末期から前漢の初期に活躍をした名将です。漢王朝を建てた劉邦に天下を獲らせた男として有名です。今記事では韓信の活躍と、並外れた能力について解説していきたいと思います。

 韓信の略歴

ソース画像を表示

韓信の肖像画(参照:世界の歴史マップ)

韓信は秦時代末期の楚に生まれます。若い時は職に就かず、下級役人の家で世話になりますが、簡単な家事も手伝おうともしなかった為、役人の妻は終いには食事を出さなくなったといわれてます。その後は貧しい老婆から食事を恵んでもらう乞食のような生活をしました。その後自分の才能を活かせる主君を探して各地を転々とします。漢の※丞相であった蕭何(しょうか)に才能を見出され※大元帥に抜擢されます。大元帥になってからは連戦連勝を重ね趙・斉の北伐を行いました。その後劉邦の最大のライバルである項羽も破り、劉邦の中華統一の原動力となります。中華統一後はその功績により楚王となったが、余りに大きな才能を恐れられ、劉邦より左遷をされてしいました。最後は謀反を企むが、捕らえられ処刑されています。

※丞相とは皇帝に次ぐ地位です。今の日本であれば総理大臣をイメージして頂けると分かりやすいかと思います。

※国の軍隊の全権を握るトップです。日本に軍隊があった時も、大将より上の最高位として元帥がいました。

 韓信の能力

 1.長期的視点を持つ徹底したリアリスト

指揮棒を持った会社員のイラスト(男性)

韓信は若い時から大志を抱き、目標達成の為に行動しました。そんな韓信の人間性が分かるエピソードがあります。一つは有名な「韓信の股くぐり」です。韓信が若い時町を歩いていると、食肉用の犬を狩る気性の荒い者たちに絡まれました。絡んできた連中は「お前の腰についた剣は飾りか!?俺に切りかかって来い。それが出来なければ俺の股をくぐれ。」と言ってきました。この時韓信は言われた通り股をくぐった為、股夫(こふ)とあだ名され馬鹿にされました。

韓信はこの時に、持っていた刀で切り捨てることは簡単だったでしょう。しかし、それでは一国の主になるために学んできたことが無駄になると考え、恥を受け入れたのです。それにしても、中国の歴史には食肉用の犬に携わる人がたまに出てくるんですけど、結構ワンちゃんを食べることは今よりポヒュラーだったのでしょうか…。

また韓信の母親が亡くなった時、その知らせを聞いた韓信は故郷に帰りませんでした。これを聞いた韓信の師匠は激怒し、破門とされてしまいます。当時の中国は儒教の教えが深く根付いていたため、「孝」の精神に反する行為とみなされたのです。しかし、韓信は金のない自分が故郷に帰ったところで葬式を挙げることは出来ず、却って帰らない方が周りの親戚達がしっかりと母を弔ってくれるだろうと考えた為帰りませんでした。母が死んだ時でさえ、取り乱すことなく冷静に自身の現状を理解して上で判断をしてます。

その後母親の遺骨は、何もない土地の丘に埋めています。これにも理由があり、遺骨を埋めた場所は交通の立地の良い場所であった為、今は何もない土地だが、きっと道が開け活気がある町が出来る、そうすれば母も寂しくないだろうと考えてのことです。歴史書よると実際にその土地には町ができ、栄えたそうです。母親の遺骨を賑やかになる所に埋めてあげたいと思うのは、人それぞれの感性でしょうが、町が開ける場所を見通せる能力は恐ろしいですね。現代にいても間違いなく優秀な人です。

このように韓信は若い時から目先の利益や、周りの価値観に合わせることなく、一貫して大出世を遂げるために行動を起こしました。恥は一時、志は一生であることを知っていたのです。

 2.兵法の本質を理解していた

銃を撃つポーズのイラスト(男性)

 

韓信は各地を転々とした後、一縷の望みを抱いて劉邦に仕官します。しかし、いきなり大きな役職に就けるはずもなく下級役として働いていました。そんな中、連座制(罪を犯したものがいると、全員を罰するという連帯責任の法律)で捕らえられ、死刑を宣告されてしまいます。あわや首を落とされる所ですが、刑の執行官に「私を殺すことは、漢の損失だ!」と訴え、丞相蕭何(しょうか)との面接の機会を得ます。

この命が掛かった面接で蕭何から「どの兵法書で兵法を学んだのか」と問われ、「すべての兵法書です」と答えました。その後すべての兵法書を暗記していることを証明し蕭何を驚かしますが、兵法をすべて覚えていても大敗をした武将がいたことについて問われます。これに対し、韓信は負ける武将は兵法の本質を理解していないから負けたのだと答えました。その後項羽の強みと弱みを説明し、劉邦は項羽と逆の行動を示せば勝てると説きます。この論に大いに納得した蕭何は、劉邦に推薦し大元帥に取り立てられています。まさに自らの力でピンチをチャンスに変えたのです。

その後大元帥として破竹の勢いで勝ち続け、挑んだ趙との戦では、川を背に陣をしき部下を困惑させます。兵法書において川を背にすることはご法度だからです。しかしこれを見た敵将は、韓信は兵法を理解していないと思い込み油断しました。実際行った背水の陣には、退路を断ち遮二無二(しゃにむに)活路を開くという意味以外にも、相手を騙すという効果も発揮しました。このように兵法を覚えた上で、臨機応変に対応することで国士無双と呼ばれる戦果をあげたのです。

実際にこの時代の武将達にとって兵法書とは教科書のようなものであったはずです。その為、ほぼすべての武将は一通りは勉強はしていたでしょう。しかし、兵法覚えた上で真髄まで理解し、使いこなすことができた武将は少なかったのでしょう。このような点は春秋戦国時代の名将白起や、後漢に魏を興した曹操との共通点が見られますね。

 まとめ

如何だったでしょうか。麻雀でしか国士無双という言葉を聞いたことがなかった方にも、韓信について知って頂けたら嬉しいです。戦場では負けなしだった韓信はその後、才能を恐れられ最後は殺されてしまいます。戦って攻めあがることに関しては無敵であった英雄も、治世において敵を作らず、自分の身を守る術を知らなかったことが不幸であったのでしょう…。事実太陽は二つもいらないとばかりに、天下を獲った後、天下人が優秀な部下を殺してしまう例は、枚挙にいとまがないですね。また他の英雄についても、またご紹介をさせて頂きます。最後までお読み頂きありがとうございます。

最新情報をチェックしよう!